上田城公園を出た所で気がついた。このあたりはもう常盤城の地名になっていた。端整な住宅地なのだが、一部にやはり城下町の名残が残っている。児童公園の端に集会場と神社があり、町内のコミュニティーゾーンになっている。ちょうどお盆だけあって、公園は盆踊りの会場となっている。今は昼間なので人はだれもいない。ただ、紅白の布を纏ったやぐらがぽつりとひとつ淋しげに夜が来るのを待っているだけである。
再び北国街道に戻ったころに私の心臓も徐々に高まりだした。もうすぐ、父の生家のあった所である。私は背筋をぴんと伸ばしてひたすら歩く。ひたすら西へ・・・。
しばらく歩くと右の方へに向かう参道みたいなものを見る事が出来る。奥にはお寺が見えていた。そのお寺は「向源寺」と呼ばれていた。私は一旦北国街道を離れ、右へ曲がってそのお寺へ向かい、川を渡って、お寺には入らず、今度はその川沿いに西へ歩き出した。この川が矢出沢川である。上田城の北側にあるこの川は真田一族が健在だった頃、城の外堀の役割を果たしていた。そして、私の父がここの川の魚を食べて育ったのだ。その川は豊かな水をたたえて流れていた。このあたりは特に緑が豊かだ。葉緑素のにおいがいちだんと強い。私はとにかくひたすら西へ進んでいた。
そして、私はとうとうその川に架かる「高橋」に到着したのである。対岸には父の生家がある。私はゆっくりとその小さな高橋を渡った。ちょうどこの場所は城下町特有の桝形と呼ばれる端の部分なのである。敵が侵入したときにそのスピードをワザと緩めるためにカーブを作ってある。そう、サーキットのシケインのような役割を果たしている重要な関門なのである。私はここで市立図書館でコピーしてもらった住宅地図を取り出し、それと実際の地形を照らし合わせた。父の生家はこの北国街道から目の前の道を少し南へ入ったところだ。少し覗くとそこはアスファルトではなく砂利の道になっていた。私はいよいよ、まるで聖域にでも入るかのようにゆっくりと入っていった。
そこは広場になっていて、その周りを家が囲んでいる。そう、この取り囲んでいる家たちが大字常盤城一八**番の家たちなのである。
「このうちの一件が親父の生家・・・」
私は広場の真ん中で立ちすくんだ。ついに来たのだ。ここが「おやじのルーツ」なのだ!

時が止まった。いや、止まったというよりも、ゆっくりとスローダウンしたような感じである。窓辺に洗濯物がひるがえり、駐車場と化した広場は一瞬モノクロームに変化したような錯覚を覚えた。このとき感じた生活の臭いは父が生まれた昭和初期の香りをかすかに残していた。家の前には大きなクスノキがそびえ、葉が生い茂る枝からは木漏れ日が私を照らした。人一人おらず静まり返っていた。ただ、風になびき、かさかさと鳴るクスノキの葉のすれる音だけが響いていた。
私はふと北側を見た。大きくそびえる太郎山。父の成長を見守ったこの山が頂をあらわにしていた。ここに昭和初期の頃の風の吹きだまりが残っている。しかし、実際は父の見た風景とは違うのである。私の見た風景は父の見た風景の亡骸。もうここには父はいないのである。あるのは、その時と変わらずにそびえていると思われるクスノキぐらい。広場には現代的な車が数台駐車し、家の片隅にはビビッドな子供のおもちゃの乗物がいくつか置かれている。父は幼少の頃、きっとここで近所の仲間と遊んだに違いない。かくれんぼか、鬼ごっこか・・・。しかし、父の残したこの風景は何も語ってはくれなかった。
「これが親父の答えなのか・・・?」
何も語らないこの風景。でも、たしかにここで親父は産まれ、育ったのだ。そして、この風景が親父が残した「独立しろ!」の言葉の答えだったのだ。
「答えは自分で探して歩け・・・か」
親父の言葉を聞いたようにそのワードを口にしたとたん、父と過ごした30年間が走馬灯のようにかけ巡った。酒のみの父、ヘビースモーカーの父、キャッチボールをつきあってくれた父、激怒した怖い父、姉や妹が嫁ぐとき淋しい背中を見せた父、祖母を亡くして空元気を出していた父。土いじりをしてにこにこしていた父。結局、私は父を守れなかった。自分のことばっかり一生懸命で父を見ようとしなかった。父の言葉をちゃんと聞こうとしなかった。今更後悔しても後の祭りなのである。
「かんにんな、親父・・・。今の俺にはこんなことぐらいしかできひん・・・。ほんま、かんにん・・・」
私はとっさにカメラを取り出し「大字常盤城一八**番の家たち」を片っ端からカメラに収めた。そして、私はクスノキの根元にそのまましばらくじっと座り込んだ。親父の言いたいことはよく解った。しかし、どうすればいいのか。その答えを今度はどうやって自分で探せばいいのだろう。まるで解らなかった。
私はどうしてもこのクスノキの根もとから立ち上がることができなかった。立ち上がるとこの場所から立ち去らなくてはならないからである。もう二度とこの風景を思い描くことができなくなるからである。たしかに写真には収めた。しかし、この香りと風の感触、そしてこの緩やかな時の流れまでは収めることが出来ないのである。この地を去ることイコール父との永遠の別れを意味していた。
でも、行かなくてはならなかった。勇気を出して一歩を踏み出さなければ、もう、私は生きている価値がないのである。また、ただ現状に流される一生を送るだけの人生になってしまうに違いないからである。でも、私は怖かった。現実の世界に戻るのが怖かったのである。現実に戻ればあの苦しい生活に戻らなければならない。そう、自分が作り出した苦悩の現実にである。
「いけ・・・!たて・・・!」
私は自分自身に何度も何度も言い聞かせ、やっと立ち上がった。立ち上がったと同時に時はまたいつもと同じように流れ出したのである。私は後ろ髪を引かれる思いだった。私はそれを一気に振り払い、早足で歩きその場を去った。父に分かれの一言を言わずにこの地を去った。
私はすぐそば北国街道から南へ入る北向観音通りの辻のところで立ち止まり、後ろを振り向く。もう、あの風景はすっかり死角になって見えなかった。ただ、太郎山だけが私を高い位置で見下ろしていた。そこではじめて心の中で父に向かって一言つぶやいた。
「親父・・・さようなら・・・」
空にはまだ入道雲が浮かんでいた。でも、風だけは秋の香りが少しだけしているのに気がついた。

私は卒業したのだろうか。何から卒業したのだろうか。父から卒業したのだろうか?それとも・・・・。解らなかった。卒業なんてしていないのではないだろうか。相変わらずの自分のまま、まだもがいている。いったい、答えはいつ見つかるのだろうか・・・。
私は父との別れに尾を引きながら北向観音通りを南へ歩いた。まだ完全に答えを見出せないまま・・・。

そして、私の「おやじのルーツ」を探す旅は終わった・・・。

                              (つづく)