「ウオ〜!しまったあ!」
時計を見て私は飛び起きた。すでに7時を回っていたのだ。予定では6時ぐらいに起きて朝の上田と撮影しようと考えていたのだが、すっかり寝坊してしまったのだ。朝日の混じった光景を撮りたかった。でも、雲っていたので「まあ、いいか」とあっさりと開き直ってしまった。
信州上田の二日目は寝坊はしたものの、熟睡したためかすっきりさわやかに迎えることができたのである。
私は早速、ホテルの一階の併設レストランでモーニングを食し、機材をまとめてホテルを出た。そして、一路上田駅へと向かう。丁度出勤タイムなのだろうか。駅から上田西武百貨店へたくさんの人がなだれ込む。私はそれを横目で見ながら信号のない横断歩道で車の切れ目が無くなるのを待った。なにげなしにぼおっとしていたら、驚いたことに、車が横断歩道の前で止まったのだ。さらに対向車まで。わざわざ横断する歩行者の為に止まってくれたのだ。正直驚いた。大阪や京都では見られない光景だ。「ちょっとした 心遣いも 味のうち」とかいうタバコのCMを思い出すが、こんな心遣いがなんともいえずうれしく思ったりする。この旅程で私はこういった光景を何度も見かけている。せっかちな関西人とは違って、なんと心が広く落ち着いた人達なのだろう。
駅に着いて私は市立図書館へ行くバスを探した。しかし、何が何だかさっぱりわからずこまってしまった。昨日お世話になった観光案内所はまだ開いておらず、自力で市立図書館へ行かねばならない。そして、その市立図書館で父の生家に関する史料を探し当てねばならないのだ。しかも、時間が限られている。長くても午前中に決着を付けなければならない。
「歩いていくか・・・」
でも、そんな時間はない。時刻はすでに8時30分近く。9時には図書館は開くのだ。急いで少しでも時間を作らねばならない。
「ええい!背に腹はかえられん!」
私はタクシー乗り場へ向かう。
「近くてすみません。市立図書館まで!」
タクシーの運転手は頷いて、すぐにコラムシフトをローにしてアクセルをふかした。タクシーはメインストリートの松尾町通りから右へ曲がり、海野町商店街をすり抜ける。あっという間に市立図書館に到着してしまった。
図書館は端正な住宅地の中にあった。市の文化施設が集中している所。市立文化会舘に併設していてちょっとこじんまりしている。開館の15分前だというのに待っている人が何人かいた。中学生や高校生のようだ。どうやらこの図書館で夏休みの宿題を片づけようということみたいだ。パフィー系のルックスの女子中高生。はやりのだぶだぶのNBAスタイル(?)の男の子たち。開館が近づくに連れてその数は三倍ないしは四倍に膨れ上がっていった。私も中高生時代を思い出しながらゆっくりと開館を待った。
シャッターがゆっくり開いてようやく開館。扉が開くと同時に待っていた学生達は一気に図書館の中になだれ込んだ。あっという間に読書室は一杯になってしまった。私は一生懸命鉛筆をもって宿題を片づけている彼らを横目で見ながら、郷土史料室へ入っていった。そこには一人女性の司書官がいるだけだ。わたしはひっそりとした部屋に並んでいる書棚をゆっくりと探した。
「何かお探しですか?」
ショートへヤーの司書官が私に尋ねる。
「はい、上田市の古い地図を探しているのですが・・・」
「そうですか。では、まずこちらから探してみてください」
彼女が取り出してくれたのは、歴代の地図をまとめた地図全集であった。江戸時代からの地図が年代順に並んでいる。私はその本を食い入るように眺めて証拠になる史料を探した。しかし、甘かった。そこにある史料は大まかな地名の変遷を知るには絶好の史料だが、父の生家を確かめるにはあまりにも不十分なものであったのだ。私は住宅地図みたいなモノを探していたのだが、この地図全集にはないようだ。
頭を抱えていると、司書官が今度は小さな茶色く色あせた箱を持ってきてくれた。
「この地図もご参考に。この中には一枚物の地図が入っています。ですが、大変古いモノもはいっていますので・・・」
「わかりました。扱いには十分注意させていただきます」
箱の中には古い地図があふれんばかりに入っていた。色褪せているが、きちんと折り畳んであるモノ。折りしろの部分で切れてしまってばらばらになってしまっているモノ。まるで上田市の歴史をさかのぼっているかのような錯覚を覚えた。私はその地図達を一枚一枚神経を使いながら拡げて探した。でも、この地図達もまったく同じであった。大まかな地名が解る程度であり、常盤城の詳しい住宅の地図など皆無に近かった。私はがっくりとうなだれた。
ちょうどその時、最後の一枚を手にしていた。私はそれを見るとはたと手が止まってしまった。
「これは・・・・!」
私の手にしていたのは昭和44年の住宅地図だった。すでに新住所の表記がしてあった。しかし、その新住所の下に小さい四桁の数字があったのだ。凡例を見るとそれはまさに旧住所だったのである。
「あった・・・。これだ!」
ついに見つけた。旧住所の住宅地図である。私は慌てて大字常盤城の一八○○番台を探した。大字常盤城一八○○番台はちょうど矢出沢川にかかる「高橋」の側、常盤城三丁目のあたりにあった。
「これだと、観光課の馬庭さんや羽曳野のおばさんの証言とも一致する。やった!見つけた!」
私は地図を指さす手が思わず震えた。そう、ここが父の生家だった場所だ。ついに突き止めたのだ。しかし、喜ぶのはまだ早い。よく見ると父の戸籍謄本の地名の大字常盤城一八**番はその場所に約十件もあったのである。
「・・・そうか・・・馬庭さんが「場所が特定できない」という訳はこういう事だったのか・・・」
しかし、もう見つかったのも同然であった。十件だろうが二十件だろうが同じ一八**番。その内の一つは父の生家であることには間違いないのだ。
私は司書官にこの地図のコピーをお願いした。司書官はしばらく地図を見て
「比較的新しい地図なので大丈夫ですね。お取りしましょう。この申込用紙に必要事項を記入してください」
私は申込用紙に自分の名前と京都の住所を書いて20円を払い、地図のコピーを受け取った。
「どうもありがとうございました」
私は深々と女性の司書官におじぎし、郷土史料室を出た。図書館内はますます学生が多くなりにぎやかになっていた。
「おし!第2関門突破じゃ!」
私は足取り軽く歩き出す。とは言ってもここと常盤城は市の中心部の対極に位置する。当然バスもないしタクシーもめったに通らないので町の散策がてらゆっくり歩くことにした。もちろん目指すは常盤城三丁目、父の食べた川魚が泳いでた矢出沢川にかかる「高橋」のすぐそばである。
                              (つづく)