寒さの一番こたえる季節がやってきた。

私は去年バグをおこしたCD-ROMの新年度版の制作に追われていた。前回失敗した為、外部の会社に委託していた部分を今度は自分でやらなくてはならなかった。でも、それは自業自得なのである。私はただ、ひたすらに仕事をするしかなかった。
休日も出勤であった。私は休日出勤には車で会社へ行っていた。父の形見の車を私はそのまま引き継いだ。車の中ではラジオをかけっぱなしにしていた。とりわけよく聞くのが京都のFM局の「α-STATION」であった。京都の有力企業が共同出資して開局したFM局。ちょうど開局5周年とあって、いろいろなキャンペーンを行なっていた。その中の一つが「イメージアーティスト」であった。1クール(3か月間)に1名ないしは1グループのミュージシャンをピックアップし、期間中約300回そのミュージシャンのシングル曲を流し、バックアップするという一大キャンペーンである。そのトップバッターに平岩英子という女性アーティストが選ばれた。平岩英子という名前ははじめて聞く名前だった。どうして彼女が選ばれたのか。それは彼女の曲がこの冬から春にかけてとてもタイムリーな曲だったからである。「卒業」というタイトルはまさにぴったりであった。当然、キャンペーン中なのでひっきりなしにかかる。私はいやだった。なぜならば、この曲は私の父が亡くなった日に病院に向かう途中で聞いた曲。当然、父の事を思い出してしまうからである。
この「卒業」という曲はラブソングである。高校生のカップルの別れを描いたせつない唄 である。彼が進学か就職で遠く離れてしまうのであろう。その情景がとてもきれいに描かれている。詞の内容は私の父の死とはまったく関係がない。でも、何故かこの曲が気になるのである。いやな思い出があるのにも関わらず、気になるのだ。特に唄の最後のフレーズである。残念ながら著作権がからむので詞の内容が紹介できないのだが、気になってしょうがない。
ある土曜日の夜。当然私は休日出勤であった。その日も車で出勤し、仕事をして橋本のアパートへ帰るところであった。ちょうどその時、平岩英子がDJをする「平岩英子のAQUARUM NIGHT」が流れていた。このプログラムはイメージアーティストの期間中に選ばれたアーティストが特別にDJをするものである。ハスキーで透明感のある彼女の声がなぜか心地よかった。その番組で「卒業」という曲の生まれた背景を彼女自身が紹介していた。
彼女の話によると、この曲は高校を卒業する時に作り、卒業の日にクラスメイトと恩師の先生の前で唄ったということであった。つまりクラスメイトと恩師の先生に捧げた曲なのである。私はてっきり平岩英子の体験が詞になったものだと思っていたのだ。これを聞いて私はこの曲の気になる訳が少しだけ理解できた。この曲は男と女の別れを描いているが、本当はそれをメタファーにしているのに過ぎないということであった。実はそれ以上の意味が隠されていることが何となく判ったのだ。でも、それ以上の事は判らなかった。
「卒業・・・・・・」
私の頭にその言葉が何回もリフレインする。「卒業」という言葉は学校教育の課程を学び終えることであったり、ある程度や段階を通りこすことに使用する言葉だ。でも、私はこの「卒業」という言葉の意味を本当は判っていないのではないだろうか?そう思いはじめた。「卒業」とはいったい何なのだろう?私は何かを「卒業」したのだろうか?本当の所何の成長もせず、何も「卒業」していないのではなかろうか。
非常に情けない話である。30歳になってようやく一人暮しを初め、いまだに「卒業とは何?」と考えている自分。はっきり言ってこんな事は思春期に考えることだ。私は考える度に情けなくなってくるのであった。とにかく私の心は何も答えを見い出せずにくすぶっていた。

寒さの一番こたえる季節もようやく過ぎ去り、待ち焦がれた春がやってきた。「平岩英子のAQUARUM NIGHT」もキャペーン期間の三ヶ月を過ぎ、「卒業」となった。しかし、私はいつまで経っても自分自身の柵から「卒業」できず、心の中は冬のままであった。そう、まるで「夏への扉」を探すダニーのようにである。このまま一生「春」など来ないだろうと思っていた。そんな時であった。
「藤沢、ゴールデンウィークの予定は?」
昼休み、喫茶店で上司が質問してくる。
「え?特に予定は考えてませんけど・・・」
「あかんなあ〜。おまえ、そやからあかんのや・・・」
上司は言う。でも、私はどこにも行く気にはなれなかった。せっかくの休暇だが、のんびり近所の写真でも撮ろうとぐらいしか考えていなかった。
「お父さんの生まれ故郷はどこやねん」
「えっと、はっきりはわかりませんけど新潟か長野か、雪国だったと思います」
「そうか。お父さんの生まれ故郷へ行って見るのもええかもわからんぞ」
なぜ上司がそんな事を言ったのか判らなかった。しかし、上司の言葉に不思議と私は響いていた。
「親父の故郷・・・」
父の故郷さえ知らなかったのである。我ながら情けないと思った。上司の言葉がきっかけになって私は次々と父のことを考え出した。
「親父はどこで生まれ、どういうふうに育ったのだろう・・・。親父が俺に「独立しろ」と言った本当の意味は何なのだろう・・・。」
私は考えた。判らなかった。でも、その答えが父の生まれ故郷にあるような気がしてきたのであった。そこに行ったところで答えなど見つからないかもしれない。でも、きっかけにはなるはずだ。私は決めた。父の生まれ故郷へ行こう!

私は大阪の羽曳野にいる父の姉に電話をした。訳を話すと、それはいいアイデアだと言ってくれた。
「それでですね、親父が生まれた場所が知りたいのですけど・・・。」
「う〜ん、でもねえはっきり覚えていーひんしなあ」
「判る範囲でいいですから教えてくれませんか」
「えっとね、信ちゃんが生まれたのはね、長野県の上田市。太郎山っていうのがあって、そこの麓なんよ。信太郎という名前はこの「太郎山」から取ったという記憶があるわ」
「へー、そうなんですか、親父の名の由来がねえ・・・。」
「とにかく、病弱やったで。家のすぐそばが川でそこの川魚を食べてたんよ。その川の名前が思い出せんのよね・・・。あ、そばに橋があって、たしか・・・高橋という橋やったかな。あ、そうそう、私が通っていた小学校の通学路の途中に農業研究所があって、お父さん、つまり真司君のおじいちゃんがそこに勤めていたんよ。学校へ行く途中でそこと通るとおじいちゃんよく手をふってくれたわ」
「それだけでも十分ヒントになりますよ。ありがとうございます」
私は父の姉に御礼を言って電話を切った。母は父の戸籍謄本の写しを持っているという。父の生家探しの手がかりになりはしないかという事だった。そう、これさえあれば何とかなる。この戸籍謄本に父のルーツが刻み込まれているのだ。
ゴールデンウィークには実現出来なかったが、最終お盆休みに決行する決意をした。列車のチケットやホテルの予約は決行の5日前に行ったが、スムーズに行った。

こうして、私は父への鎮魂の意をこめて、そして、自分自身の柵から「卒業」する為に長野県上田市へ旅立った。平岩英子の「卒業」の入ったCDをお供にしながら・・・。

                              (つづく)