本編があまりにも重いので、今回はフランクに・・・・。

私の今住んでいる八幡市の橋本は私が独断でそう思っているのですが、平岩英子さんの「卒業」のシチュエーションに似ているのです。元々橋本の町は40年前は遊廓街だったそうで、淀川沿いの街道には、当時の面影が残っています。
そんな古い一面を見せている町なのですが、山沿いの小高い丘には新興住宅地が建ち並んでいます。桜並木はないのですが、西に向かって長い坂が京阪電車の橋本駅に続いています。夕方になると西日を反射して、屋根と淀川の水面がきらきらと輝きます。そんな街で私は暮らしています。
季節はうつろい、すっかり秋の様相を見せています。朝昼晩、そして春夏秋冬。時間や季節によって描かれる風景も様々。平岩英子さんの「卒業」の最後のフレーズにも出てくるように、流れ去る景色は二度と描くことは出来ません。でも、それは自然の中ではごく当たり前の事です。そんな風景の中で描かれる人々の営みも同じではなかろうかと思います。人との出合いや別れにしてもそうです。人はごく当たり前に出会いや別れを繰り返している。悲しんでばかりだと一生それの繰り返し。しょうがないじゃあないか!と思うしかないのではと独断なのですが思います。
流れ去る景色は二度と描くことは出来なくても、うつりゆく風景の変化を楽しめばいい。そんなことを平岩英子さんの「卒業」から、そして父から学んだような気がします。

さて、本文に出てくる「卒業」という言葉とななんぞや?ということなのですが、これは人によって解釈は様々でありましょう。「卒業」という言葉を分解すると「業(ごう)を卒(しゅっ)す」とも書きます。「業」とは仏教用語で「身(しん)・口(く)・意(い)が行う善悪の行為。特に、悪い報いの因となる悪行。」と辞書に書かれています。また「卒」とは「おわる」という意味です。また「死ぬ」という意味もあります。直訳すると「悪い報いの因となる悪行をやらなくなる」と捉えてしまいます。でも、もっと深い意味があるのではないでしょうか。
人生の様々な営みの中で重ねる宿命というどうしょうもない自分自身の汚い部分と戦い、打ち勝つ意味が一つ。そして、人との別れの中で、その悲しみを乗り越えて一つステップアップしていく、そういう意味が隠されているような気がします。
そう考えると、人生の中で我々は何度も「卒業」を繰り返している動物なのでしょう。何度も頭を打って卒業を繰り返す。いったいいつになったら本当の「卒業」が来るのでしょうか?それは誰にもわかりません。多分、自分が死ぬ前に分かることでしょう。
実際、今回の旅で「卒業」したかどうかははたまた疑問であります。ただ、解るのは、この先、何度も「卒業試験」があることだけです。


最後に、この旅をするにあたって、「おやじのルーツ」のアイデアを頂いた私の上司、生家の情報をいただいた羽曳野のおばさんを始め沢山の方から励ましやアドバイスを頂きました。大変感謝申し上げると共に、その感謝の意に変えてエンド・クレジットに発表させていただきながら、この旅行記の幕を閉じたいと思います。本当にありがとうございました。


《参考文献》
旅王国信州        (昭文社刊)
マップルマガジン 信州  (昭文社刊)
信州の歴史と文化     (信州大学「信州の歴史と文化」編集委員会編
                            郷土出版社刊)
信州雲にのってロマンの旅 (増沢光男著 あーる企画刊)
郷土の歴史「上田城」   (上田市立博物館刊)
真田氏史料集       (上田市立博物館刊)

《協力》
上田市役所観光課
上田駅前観光案内所
上田市立図書館

《Special Thanks to...》
私がご迷惑をおかけした上司
市役所観光課の馬庭さん(仮名)
駅前観光案内所のおねえさん
羽曳野のおばさん
馬場町の某喫茶店に集う気さくな皆さん
レストラン「お城の坂道」のママ

平岩英子さんと「卒 業」
 アルバム「Airium」 EPIC SONY ESCB1808
 シングル「卒 業」 EPIC SONY ESDB3739
 (C)1997 Sony Music Entertainment(Japan)Inc.

α-Station(FM京都 89.4MHz)と"平岩英子のAQUARUM NIGHT"(97.1〜3)

そして、母と今は亡き父の為に・・・・

「おやじのルーツ」1997年9月23日(お彼岸)八幡の橋本にて脱稿
                         藤澤 真司


Copyright (C) 1996 by NIFTY-Serve FPHOTOS MES14 / Shinji Fujisawa

藤沢真司さんはアートフォリオの写真部門会員です
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