カピタン脇田の単身赴任日記

9. 島原・精霊流し

文、写真:脇田安大(わきたやすひろ)
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皆様、ご無沙汰しております。長崎は、今年も精霊流しの季節がやってまいりました。暑中見舞いの代りに、その様子をお届けします。

■死者の霊を弔う精霊流し
は、かつては野菜などを菰(こも)に包んで流していたのですが、長崎では江戸時代に儒学者の教えで、次第に盛大になったようです。江戸末期にシーボルトに仕えた川原慶賀は、4人の男が藁(わら)でできた船を担いで練り歩いている光景を描いています。さらに近代になって、長崎市内では木造の船になり、下に車輪をつけて押していく形になりました。こうした大型化や環境問題によって、かつては海に流していた船も、今では海に流せなくなり、指定された場所に持っていってつぶされる運命となったのです。長崎出身の歌手「さだまさし」の歌では静かなイメージを思い浮かべますが、実際にはバクチクを大量にまきちらすため、耳栓が必須アイテムになるような騒々しさです。
ところが、県内各地では全く違う精霊流しがあり、小さな灯ろうを川に流す普通の方式もあります。その中で、島原では「切り子灯ろう」で飾りつける精霊船が見られます。おそらく、最も優雅な精霊流しであるうえ、長崎市内と違って人が船を担ぎ、最後には海に流す古来の方式を伝えています。

■普賢岳噴火から10年
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ということで、今年は島原に行ってきました。8月15日は火曜日だったので、5時半に仕事を終えてから、車で島原に向かいます。長崎の日没は東京に比べると1時間近く遅いので、7時になってもまだ明るく、業後でも十分間に合う訳です。今年はちょうど、雲仙普賢岳が噴火を始めてから10年という区切りの年で、復興は急ピッチで進んでいますが、まだ火砕流に襲われた家屋が残されています。半分は観光目的なのでしょうが、埋まった家を見ていると、当時の惨状がしのばれます。

■夏の色合い・切り子灯ろう
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7時過ぎ、初盆を迎えた家の庭から、徐々に精霊船が集ってきます。木で多角形の枠組みを作り、紙を貼った「切り子灯ろう」をたくさん飾りつけた船は独特の美しさがあります。下に垂れた下がりは、お釈迦様と島原城が描かれており、ブルーの色合いが清涼感を感じさせます。ちなみに、切り子灯ろうは、この季節になると島原の提灯屋がアルバイトなども動員して作り、確か1個3000円強だったように記憶しています。これを竹で作った骨組みに飾っていくのですが、大きいものでは100個近くになるので、相当の金額になります(それでも、盛大な家では数百万円かかると言われる長崎市内に比べると安いものでしょうが)。

■マワセ! マワセ!

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7時半頃になって、やっとスタートです。大きいものは20人位で担ぎ、「ナマイドー」(おそらく「ナンマイダー」のなまったもの)の掛け声をかけ、バクチクを大量に撒きながら、グルグルと回転させます。それにしても、長崎人は祭りになると回転させるのが大好きで、「くんち」や精霊流しでは、つい「マワセ! マワセ!」と叫んでしまう癖があり、DNAに組みこまれているようです。長崎市内では精霊船を回して、他の船に触れてけんかになることが多く、最近では県警から禁止されてしまったくらいです。

蜃気楼
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こうして市内を練り歩いて、最後は海に流すために、決められた海岸の広場に到着。スピーカーから読経が流れる中、これで最後とばかりに広場で思いきり回すと最高潮に達します。この夜は月も出て、潮風の中で回る船を見ていると、江戸時代の精霊流しを思い起こさせます。最後に、堤防を越えて海に入り、担ぎ手の背が立たなくなった時に、小船で沖合いに牽引。いくつもの精霊船が灯ろうに明かりをつけて並んでいる光景を見ると、感激モノです。有明海をはさんでバックには、熊本の明かりが広がり、蜃気楼を見ているようで「夏の夜の夢」といっても過言ではありません(3脚を持っていかなかったので、この光景を取り損ねました)。今年は、島原市内5箇所で120隻の船が流されたそうです。
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2000.8.29 (C) Yasuhiro Wakita
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