カピタン脇田の単身赴任日記

7 植物学の黎明期

文、写真、図:脇田安大(わきたやすひろ)
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皆様、ご無沙汰しております。日増しに暖かくなり、そろそろ落ち葉の季節を迎えます。
というのは、常緑樹が多い長崎では、春の新芽の頃、一冬を頑張った葉が役目を終えて散っていくからです。もちろん、常緑樹ですから、紅葉にはなりませんが、落ちていく葉を見て、人生の春(秋?)に涙することになります。

ちょうど、シーボルト記念館では、「シーボルト旧蔵・日本植物資料展」が始まりました(3月18日〜4月22日)。シーボルトが持ち返った植物画や標本を集めたものですが、私も企画段階でほんのわずかお手伝いをさせて頂きました。数多くの歴史を秘めた長崎ですが、日本の植物学の黎明期に多くの学者がこの街を舞台に活躍しており、改めて長崎の奥の深さに驚かされました。

■近代植物学の確立
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まず、基本的な知識をおさらいをしよう。「種の起源」によって進化論を唱えたダーウィン(1809〜1882)が誕生する1世紀前、近代植物分類学の祖・リンネ(1707〜1778)が活躍する。

帆船貿易が発達して多くの植物が集まり、体系的な分類が必要になった時代、スエーデン人のリンネは「植物の種」(1753年)を著して、まずグループを表す属名、次いでその種固有名、の順で学名を付与することを提唱した(なお、最後に命名者を表記)。例えば、ユリ科のキツネノカミソリは、属名Lycoris(海の女神Lycorisのように美しい)、種名 sanguinea(血紅色をした)、命名者Maxim.(ロシア人学者マキシモヴッチ)というように、ラテン語で表示される。

これによって、どんな植物が発見されても、体系だった分類が可能になり、動物等にも適用されて、近代分類学の基礎を形成した。
出島・オランダ商館長の活躍
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リンネの「植物の種」以前から、日本は中国の流れを汲む本草学が盛んで、貝原益軒などがその代表格である。しかし、近代植物学は出島の西洋人によってもたらされている。

年代順にみると、まずケンペルをあげることができる。ドイツ人である彼はオランダ商館の医師(1690〜92年)であり、著書「廻国奇観」(1712)で日本にも触れ、その中でイチョウ、キリ、カキなど28点の日本植物を紹介している。しかし、リンネ式分類学以前であるため、植物の学名の中にケンペルの名前は登場しない。

次いで、同じ商館医(1775〜76年)のツュンベルクが、大きな功績を残している。実は、スウェーデン人である彼は、なんとリンネの高弟でもあり、日本植物を体系的に収集・研究したことで知られる。その著書「フロラ・ヤポニカ」(1784年)に、812種の日本植物を収録し、418種は新種とされている。このため、日本植物の学名には彼の名前がたびたび登場する。命名者にThunb.と記されているのはツュンベルク(Thunberg)の略である。
シーボルトと川原慶賀
image 最後に、シーボルトを忘れるわけにはいくまい。ドイツ人である彼は、本業の医学のほか、自然科学、地理学、民俗学等を学び、東インド会社の医者としてインド経由で日本に渡る。ドイツなまりのオランダ語であったことから、入国審査時に疑われるが、とっさに「山オランダ人」と嘘をついてオランダ商館の医官(1823〜29年)として着任する。鳴滝塾を開いて多くの日本人に医学を教えるとともに、風俗など日本全般の研究を行うが、中でも植物には注力した。

彼は帰国後、12000点の標本や川原慶賀らの植物画をもとに、植物の専門家ツッカリーニと共著で「フロラ・ヤポニカ」(1835年)を出版。日本植物の学名には、ツッカリーニと共同の名前(Sieb. et Zucc.)でよく登場する。なお、シーボルトは、当時ジャポニズム(日本趣味)や園芸が流行していたヨーロッパに生きた日本植物2000種類を持ち帰っており、ユリやクレマチス(テッセン)、アジサイなどは改良されて、日本に再上陸している。大輪の花で人気のあるカサブランカ(ユリ)もそのひとつである。

在日中から「フロラ・ヤポニカ」を企画していたシーボルトは、フランス人画家・フィレーネや町人絵師・川原慶賀に膨大な植物画を描かせている。特に、川原慶賀については前回の「よかとこ長崎」に書いたように、卓越した技能を誇り、この絵を基にヨーロッパの画家がフロラ・ヤポニカの挿絵を作成している。たまたま、地元NBCによる川原慶賀の特別番組があり、それによると、慶賀は西洋人の春画も描いていることが判明。

御用絵師慶賀は、クライアント?のシーボルト頼まれれば、なんでも描かざるを得なかったのだろうと察するが、好んで描いたのか、それとも嫌々ながらに描いたのかは不明。
東亜植物の父=マキシモヴッチ
image 東アジアの植物研究者マキシモヴッチ(ロシア人)は、明治時代の日本の植物学者を指導したことで知られる。幕末の1859年に来日し、1862年に長崎にも足を伸ばしている。この年は、2度目の来日(1859〜62年)を果たしたシーボルトが長崎を去る時に当っているが、どうやらタッチの差で、2人は出会っていないようである。しかし、マキシモヴッチは、マルバウツギにDeutzia Sieboldiana Maxim.とシーボルトを記念した学名(Sieboldiana)をささげている。

同時に、彼は、ツュンベルクやシーボルトの標本や植物画を、ロシア科学アカデミーのコマロフ植物研究所に収蔵している。ロシア革命や2回の世界大戦を経て、今もほぼ完全な姿で保存されており、散逸を防いだ功績も大きい。なお、コマロフ研究所は、満州等の植物を研究したコマロフ(Komarov)を記念したもので、日本植物にもその名を戴くものがある。
出品作10点の紹介

シーボルト記念館での展示には、私の絵のストックから、こうした長崎ゆかりの植物学者を記念して名付けられた、あるいは彼ら自身が学名をつけた植物を、10点ほど選んでみた。
●ツュンベルク関連
 ダイコンソウ:Geum japonicum Thunb.(下の図参照1)

●シーボルト関連
 ナツトウダイ:Euphorbia Sieboldiana Morr. et Decne.
 クサボタン:Clematis stans Sieb.et Zucc.
 ヒトリシズカ:Chloranthus japonicus Sieb.(下の図参照2)
 ツクシキケマン:Corydalis heterocarpa Sieb. et Zucc.

●マキシモヴィッチ関連
 コオニユリ:Lilium Maximowiczii Regel(下の図参照3)
 オオキツネノカミソリ:Lycoris sanguinea Maxim. var. kiushiana Makino
 シモツケソウ:Filipendula multijuga Maxim.
 ショウジョウバカマ:Heloniopsis japonica Maxim.

●コマロフ関連
アサマフウロ:Geranium soboliferum Komarov(下の図参照4)


ジャケツイバラ
(慶賀とフィレーネの合作)
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(1)ダイコンソウ
(ツュンベルク)
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(2)ヒトリシズカ
(シーボルト)
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(3)コオニユリ
(マキシモヴッチ)
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(4)アサマフウロ
(コマロフ)
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2000.4.2 (C) Wakita Yasuhiro
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