3 長崎くんち

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文、写真:脇田安大(わきたやすひろ)

先日の台風は熊本寄りにそれて、長崎は直撃を免れましたが、それでも刈り入れ直前の稲はペッタンコに倒れています。私の宿舎も雨漏りがして、東海村のようにステンレス性容器を持って雨だれを受けましたが、幼い頃を思い出しますね。そうした中、10月7日から長崎最大の祭り「くんち」が行われました。ちょうど400年前の長崎が再現され、唯一の外国に対する窓口として、各種文化がチャンポン状態で発展した「文化のガラパゴス:長崎」を感じとることができます。今回は、くんちの中継です。

▲ くんちは長崎の氏神である「お諏訪さん」の大祭として、寛永11年(1634年)に始まった。当時、長崎は幕府によるキリシタン弾圧が強まっていた時代で、神仏崇拝を勧めるため諏訪神社をつくっており(1625年)、この一環として娯楽で人々をひきつけるためくんちを行ったとされる。ちなみに、この頃、異国人居留地である出島やメガネ橋の建築が始まっている。

▲ くんちの語源は、菊の節句である旧暦9月9日に行われたため、9日がなまったとされる。現在は10月7〜9日の3日間で行われるが、7年に1度の踊り町に当った町は、6月1日に「小屋入り」を行って練習を開始する。7年に1度しか回ってこないため、約4ヶ月間、みっちりと練習する期間が必要であり、サラリーマンも残業をことわって、夜に練習を重ねる。10月1日から大祭の期間に入り、3日には演し物(だしもの)の衣装などを披露する「庭見せ」(にわみせ)、4日には町内でリハーサルと行う「人数揃い」(にいぞろい)があり、一気に盛り上がっていく。

▲ 本番10月7日、演し物が諏訪神社から長崎市内に繰り出すと、街はくんち一色に包まれる。踊り町が集まって公会堂などで演し物を披露するほか、個人の家や会社を回って演じる「庭先回り」(にわさきまわり)が行われ、街を練り歩く笛や太鼓のシャギリの音が聞こえると、長崎っ子は気もそぞろになる。9日に諏訪神社に戻って、最後の演し物を奉納するが、これが終わると長崎の街は一種の虚脱感に覆われ、そして本格的な秋が始まる。
image (モッテコーイ、モッテコイ)

今年は5つの踊り町が、「本踊り」(桶屋町)、「川船」(船大工町)、「阿蘭陀漫才」(栄町)、「御朱印船」(本石灰町)、「鯨の潮吹き」(万屋町)を奉納している。この中で、もっとも人気があるのが、潮を吹いて暴れまわるクジラを捕獲する様子を表現した「鯨の潮吹き」である。竹で編んだ骨格に黒い布をかぶせたクジラは2トン近くもあり、これを、「ヨッシーヨイサ」の掛け声にあわせて、15人のいなせな若い衆(根曳:ねびき)が前後させたり、回転させたりする光景は迫力万点(グルグルまわすときにはマワセマワセと叫ぶ)。下には4つの車輪がついているが、自動車のように車輪は方向を変えるようにはできておらず、根曳衆全員が気合をそろえてゴツゴツした石畳の上で回すのには、感心させられる(練習では怪我人も多いらしい)。そして、クジラの中には潮吹き用の水タンクが入っており、これを2人が手押しポンプで勢い良く吹き上げる仕組みになっている。

演し物が終わると、観客は「モッテコーイ、モッテコイ」の掛け声でアンコールを要求する。これを何度となく繰り返し、いったん退場した演し物が再び登場するとドッと湧いて、会場はクライマックスに達する。なお、演し物が踊りの場合は、モッテコーイではなく「ショモヤーレ」(所望するからもっとやれ)の掛け声をかける。
image(庭先回り)

広場で演じる合い間をぬって、町内の家や会社を訪問する「庭先回り」を行う。これによって、祭りを盛り上げるとともに、ご祝儀を集め、数千万円といわれる踊り町の出費の一部をまかなう。当地では、ご祝儀といわず、「御花」と言い、当日は「花」と書かれた紙をわたし、後日集金に歩くのが慣わし。3日間で1200先くらいを訪問するので、1日当り400先、10時間かけたとしても1先1分30秒の計算で、ごく簡単な演し物を次々と行っていく。

日銀長崎支店は諏訪神社の真横にあり、奉納の順番待ちに庭先を提供するのが恒例になっており、同時に庭先回りも受け入れて、お茶やビール、子供用のお菓子を出して接待をしている。ということで、支店長は、あでやかな踊り子さんやかわいい唐子(チャイナドレスの子供)と、親しくお話するメリットを享受できる。
image(傘鉾)

各踊り町の演し物は、「傘鉾」(かさぼこ)の舞で始まる。早く言えば、国体入場式のプラカードのようなもので、昔は簡単なものだったらしいが、年々きらびやかになり、それ自体が見応えある演し物になっている。重さ120キロを超える傘鉾を1人で担いで歩いたり回転したりするが、垂れ幕で周囲が見えないので、棟梁が先端に旗のついた竹で下のほうから方向などを指示する(サーカスのトラの調教を思えば良い)。

私自身がもっとも感激したのは、本物と見間違うばかりの魚が刺繍された万屋町の傘鉾で、シーボルトも200年近く前に同じ物を見て、美術品である以上に学術品として絶賛し、著書にも記述している。これは、中に綿を詰めながら立体的に作り上げる「長崎刺繍」によるもので、唯一人残った職人が、今回のために昔のものを改修したとのこと
image(唐人パッチ)

踊り町の世話役は、神社では紋付袴で正装するが、庭先回りの時には歩きやすいよう、袴を脱いで中国風のステテコ姿となる。これは唐渡りの絹でできた「唐人パッチ」と言い、頭には西洋の山高帽、着物は日本古来の黒紋付で、洋・和・中の奇妙なとり合わせが、異国文化の交じり合った「文化的ガラパゴス:長崎」に似つかわしい風情をかもしだしてくれる。

1999.10.20 (C) Yasuhiro Wakita
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