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2 狂騒の悲しみ・長崎精霊流し

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文、写真:脇田安大(わきたやすひろ)

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夏というのに、長崎は週末になると台風が接近して、水不足の心配は無いものの、
夏の商戦はどこもあがったりの様相を呈しています。
私自身も、地元有志との研究会の合宿など、貧乏暇無しの状態で、
長岡の植物画展示会にもまだ参上できていません。

ところで、今回は芸術とは余り関係ありませんが、
夏の便りとして、長崎の精霊(しょうろう)流しの現地中継をお送りしましょう。
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初盆にとうろうを流す死者送りは全国的に見られるが、各地の風習とはかけ離れて長崎では独特の発展をとげており、さしずめ日本の文化的ガラパゴス諸島を思わせるものがある。長崎出身のさだまさしの歌では、静かで寂しい精霊流しのシーンが出てくるが、これは全くの嘘っぱちで、鉦を打ち鳴らし、バクチクが狂ったように爆音を響かせながら、中には10mもある大きな船が道路を練り歩き、「狂騒の死者送り」といった表現がピッタリ。夕方7時頃になると市内のあちこちで炸裂するバクチクが地鳴りのように押し寄せ、船が通る道路周辺では耳栓が必須アイテムとなる(道路整理の警官も耳栓をしている)。おそらく、長崎独自に発展した船信仰(ちなみに長崎は造船王国でもある)と、中国文化が結びついたものと思われるが、このド派手な光景は、平均的日本人の死者送りに関する既成概念を打ち壊す衝撃を持っている。
imageしかし、こうした狂騒の中にも、深い悲しみを垣間見ることができる。1ヶ月くらい前から、家族や親戚が夜などに集まって船を手造りしながら、故人をしのぶというのは、現代日本では数少なくなった心のこもった死者送りの原型そのもの(ただし、超大型の船になると数百万円で受注生産されるものもある)。当日は、故人の写真や好物を乗せた船を縁者が一体となって引いていく訳だが、若い人の遺影を掲げた船を見ると沿道の見物客もしんみり。また、子供の写真をつけた1mくらいの小さな船を、父親が一人で担いでいく姿は涙をさそうことしきり。こうした悲しみを忘れ、紛らわしてくれるため、お清めのバクチクの音とモウモウとした煙幕が効果的なのかもしれない。
■歴史
精霊流しは、初盆を迎えて、死者の魂を生死苦悩の俗世からねはんの彼岸(ひがん)に渡す風習であり、全国的に行われている「万灯流し」(小さな船にちょうちんを置いて流すもの)や「菰(こも)包みの川流し」が、長崎で独特の発展を遂げた。発祥については諸説あるが、江戸時代享保年間(1716〜1735年)に、後の幕府天文方となる儒者の盧草拙(ろそうせつ)が、市民が供物を菰包みで流すのは死者の霊に失礼だということで、小船に乗せて流した、という説が一般的だ。

image江戸時代には「わらぶね」といわれるように、竹と麦わらでできた1〜2mの船を担いで練り歩き、最後は長崎港に灯をともして流しており、港を幻想的な光が漂ったとされている。しかし、その後の経済発展で、現在は船の大型化が進んで材木を骨組みに5m位のものが中心になり、有名人などが死ぬと10mのものも造られる。この下に車輪をつけて市内の道路を引き回すため、大きさに制限が設けられているが、これをかいくぐるために規制内の大きさの船を何隻も連ねて豪華さを競うといった規制逃れも登場する。長崎県内で3千隻、長崎市内でその半分くらいの船が毎年出るため、これを海に流すことは最近ではもはや不可能で、港まで引いていってそのままつぶしており、海に浮かぶ本来の姿は見ることはできなくなってしまった。
■みよしimage
それにしても、精霊船の先端から、異様なものが突き出している。これは長崎特有の飾り付けであろう。見方によっては、宇宙戦艦ヤマトが波動砲を撃っているようにみえるが、これは「みよし」という。何とも奇妙なネーミングだが、漢字で書くと舳(へさき)で、和船の突端に突き出した波切りのことを表わし、水押(ミオシ)が転じてみよしになった。長崎では、ペーロン船の先頭に「立部」(たてぶ)と称する波切りの小さな飾りがついており、それが進化したのではないかとされる。こんな大きなものを飾り付けて、バランスを崩して船が転覆するのではないかと心配になるが、船を海に浮かべることが少なくなった明治時代以降、この部分が誇張されて大型化したとのこと。

このみよしは、竹を裂いて骨格を作り、新しい菰を巻いて包むのが正統派であるが、菰の上に花輪で使う花飾りを付けるもの、杉の葉で飾り付けた物も見られる。みよしの中にはローソク(最近は電球)を燈し、前には家紋や名字を書いた紙を貼って、夜でも一見して見分けられるようになっている。
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image■ドーイドーイ
精霊流しの行列は、大名行列のように進む。編成は、家紋等を描いた印灯篭(しるしとうろう)が先頭を進み、次は鉦となるが、大きいものは2人で竿にぶら下げて担ぎ、後ろの者がチャーンチャーンと打ち鳴らしながら歩く。その後に、そろいのハッピ姿の縁者が船本体を引き、正装した遺族が続き、道中を清めるバクチク係が周囲を取り囲んで進んでいく。

鉦の音に合わせて、ドーイドーイの掛け声が唱えられるが、これは南無阿弥陀仏がなまったもの。大声で叫ぶのに都合が良いよう、ナムアミダブツ → ナンブアイダー → ナーイダイ → ダーイダーイ → ドーイドーイ となったと本には書いてあるが、これだけ激しく変化する例は聞いたことが無い。もっとも、船の上の帆に、梵字で南無阿弥陀仏らしき言葉が書いてあるので、こうした説も本当らしい気がする。


1999.8.23 (C) Wakita Yasuhiro
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